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ネパール子どもインタビュー
第6回
2022年5月19日

ネパールの子どもたちへのインタビュー第6回は、児童養護施設ライジング・ロータスで暮らすMasina Gurung(マシナ・グルン)さんです。現在13歳のマシナは、ネパールの学校の7年生です。施設には6歳の時にやってきました。

 

施設長のハリさんは友達から、ゴルカ郡の遠隔地にグルン族の村があり、すごく貧しい家がある、そこの末っ子を世話してくれないかと頼まれました。それまでゴルカ郡から施設に来た子どもはいませんでしたが、彼は受け入れることにしました。

 

施設に来る前は・・・

マシナはゴルカ郡の中国との国境近くの村出身です。彼女の村は、車道から歩いて1日かかる遠隔地にありました。6歳で施設に入る前、彼女は両親と姉6人、兄1人の10人家族で暮らしていました。彼女の名前の「マシナ」はネパール語で「小さい」という意味ですが、彼女は最後に生まれた子どもなので、末っ子という意味でこの名前がつけられたそうです。

 

父母は農民で貧しく、畑で麦、ヒエ、ジャガイモなどを作って暮らしていました。家畜はヤギ6頭と牛1頭を飼っていて、森に飼葉を集めに行くのは子ども達の仕事でした。家には水道がなく、歩いて5分の公共の水場まで水を汲みに行きました。村にいた頃は森へ飼葉取りに行ったり、水を運んだり、薪を運ぶなど家の仕事を手伝いつつ、家から20~30分歩いたところにある公立学校に通っていました。

 

今、兄弟姉妹の中で学校に通っているのは彼女だけで、4人の姉はすでに結婚しました。兄は8年生まで学校に通ってから辞めたそうです。家族の中でボーディングスクール(英語で教育をする私立学校)に通っているのは彼女だけです。

 

 

施設に来てから

6歳で施設に入る時、彼女は初めて首都カトマンズに行きました。叔父さんに連れて行ってもらいましたが、車を見るのも初めてで、それまで見たこともない様々なものを見ました。バスに乗るのはもちろん初めてで、車酔いして吐いてしまい、寝ながらカトマンズにたどり着いたそうです。

 

施設に来てから、すべてのことが変わりました。それまでは部族の言葉であるグルン語を話していました。村の学校でも先生はネパール語ではなくグルン語を話していたそうです。そのため最初、マシナはネパール語を話せませんでした。施設にグルン語を話せる人がいなかったので、友達と一緒に過ごしながら一語一語、覚えていって、ネパール語は半年程で話せるようになったそうです。ネパール語がまだわからなかった頃、彼女は人と話すのが怖かったそうです。でも一緒にいるうちに仲良くなって友達ができて、話もできるようになりました。

 

 

施設から通う学校は、英語で授業をする私立学校だったので、学校では今度は英語が分からず苦労しました。学校の先生は、英語が分からない子どもにはネパール語で話してくれますが、彼女はネパール語もわからなかったので二重に大変でした。彼女はネパール語を友達に教えてもらい、学校では英語も学びました。7年生になった今は、英語の授業にもすっかり慣れて、英語もできるようになりました。

 

今は3つの言語(グルン語、ネパール語、英語)を話せるようになりましたが、どの言葉が一番、使いやすいかを聞いてみたところ、今はネパール語が一番、簡単だそうです。友達と話すことが多いのがネパール語だからでしょうね。

 

以前通っていた村の公立学校ではそんなによく教えてくれなかったし、先生も良くはなかったので、最初、彼女は勉強ができませんでした。言葉の問題もありました。今は言葉も覚え、勉強もとても良くできるようになりました。

 

日常生活、趣味、施設での一番の思い出

彼女の一日は、6時に起床し、身支度その他をしてから時間があれば勉強します。朝食を食べてから、9時半に学校行きます。学校から帰るのは夕方4時で、おやつを食べてから宿題をしたり遊んだりします。夜8時に夕食を取り、夜10~11時に寝ます。

 

彼女の趣味は勉強すること、絵を描くこと、歌もダンスも好きです。好きな教科は、社会、理科、英語です。暇な時は教科書を読んだり、絵を描いたりします。

 

先日、施設で絵画コンテストがあり、彼女は「Save Nepal(ネパールを保全しよう)」という題の絵を描いて、1等賞を取りました。彼女がこの絵を描いたのは、ネパールには素晴らしい山々、ヒマラヤがありますが、将来も利用するには保全しないといけないという思いから、この絵を描いたそうです。メッセージがはっきりした素敵な絵ですね。ネパール絵画コンテストの動画があるので、そちらもご覧ください。

 

 

彼女は施設で7年間を過ごしましたが、一番の思い出は施設を訪問するゲストが来た時、歌ったり踊ったりして皆で楽しく過ごしたのが一番好きで楽しかったそうです。

 

ネパール大地震の時、彼女は・・・

2015年4月25日、ネパールはM7.8の大地震に見舞われました。彼女の故郷のあるゴルカ郡は、地震の震源地でした。大地震が起きた時は春休み中で、彼女はちょうど家に帰っていました。そのため、彼女は村で被災しました。村の家々はすべて倒壊し、数人が亡くなったそうです。彼女の家族は無事でしたが、家が倒壊したので、小さな小屋を建てて、家族で身を寄せ合って過ごしたそうです。食べる物も足りず、皆で分け合って過ごしました。

 

彼女は、それまで地震を一度も経験したことがなくて、地震を知りませんでした。大地震が起きた瞬間、彼女は森にいましたが、地震に驚いて逃げて帰ったら家は壊れていたそうです。その後、余震が何度も続き、とても怖かったそうです。近くの水道も壊れていました。最初は外部からの支援も何もなく、自分たちでどうにかしないといけませんでした。あとから支援が来たそうです。

 

地震の1か月後に彼女はカトマンズに戻りました。

地震から7年が経った今は、村も便利になりました。地震前は村に電気はありませんでしたが、今は電気もあります。車が通れるような道路はまだありませんが、水場は近くに新しく作られました。以前の学校は壊れたので再建され、少し良くなったそうです。

 

 

将来の夢

マシナに将来の夢を聞いたところ、今はまだ特にないとのことでした。今はとにかく勉強して、それから考えるそうです。才能あふれるマシナがどのような将来の夢を描くのか、楽しみですね。チェフコスタッフ一同、見守っていきます。

 

ネパール里親プロジェクトは、様々な家庭の事情で学校へ通うことができない子どもたちが安心して勉強を続けられるように応援するプロジェクトです。詳しくは、こちらをご覧ください。

 

―「ネパールの子どもたちへのインタビュー」担当より

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