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■緊急出動!! 初の海外活動!!
5月16日から9日間のスケジュールで、温熱軍団としての初の海外活動へ行ってまいりました。約1週間という短い準備期間でしたが、宮崎理事の旧友であるネパール人のビーレインさんと出会うことで話が急速に進み、翌週末の出発にこぎつけることができました。今回の訪問でわかったことですが、ネパールという国は親戚間やコミュニティのつながりがとても強い国です。私達の活動をサポートしてくれたのはビーレインさんの親戚を中心とした方々でした。そして行く先々では地域の方々が積極的に私達を手伝ってくれました。
■「こんな時によく来てくれた!!」
特に今回は震災からまだ間もない時期だったため「今現地へ行って果たして私達の温熱軍団は受け入れられるのだろうか」という疑問がありました。「今はまだ行くタイミングではない」という批判も受けました。しかし実際に現地へ赴くと、ネパールの人達は「こんな時によくきてくれた!!」と非常に温かく迎えてくれました。温熱活動初日のバラズパークに到着した時のことです。「果たしてどうなるのか。人は集まるのか」そんな不安を抱えながら会場に着くと、ひとりの女性が一輪の花を携えて私達を「ようこそ」と出迎えてくれました。この瞬間に不安が吹き飛びました。こうして私達の怒涛の5日間が始まったのです。
■“ジャパンテクノロジー”への期待
今回は5日間で合計5箇所を廻り温熱施術活動を行いましたが、温熱は私達の想定以上の反響を呼ぶこととなりました。5日間で458人の方に温熱をすることができました。今までの福島での活動でも経験したことのない人数でした。実際には人数の倍以上の方から予約をいただきましたが、施術師が3名しかいなかったためにこれが限界の人数だったことが心残りです。受けられなかった人の中には「なぜ私はやってもらえないのか」と不満を言う人もたくさんいたそうなのですが、「また来てくれる時に連絡する」と連絡先を控えてその場を収めてくれていた背景があります。それだけ私達の温熱に興味を持っていただいていたようです。
また、ネパールはヒンドゥー教や仏教を中心に信仰の厚い厳格な地域ですので、「女性は男性に触られるのを嫌がるかもしれない」「足は不浄とされるので膝から下はやらないほうがいい」などのアドバイスを事前にいただいていました。しかし、実際に蓋を開けてみると458人施術したうちの半分以上が女性であり、また、多くの方から「足を診て欲しい」というリクエストを受けました。ネパールではもともとマッサージやセラピーなどを受ける習慣がなく物珍しいこともあったのでしょうが「ジャパニーズテクノロジー」と称して紹介された温熱は私達の想像以上に受け入れられた結果となったのです・。
■5箇所での温熱活動
今回はカトマンズ市内を走る環状線に比較的近い5箇所の場所をピックアップして活動しました。
■バラズパーク
1日目はバラズパークという寺院のある公園の避難場所。その前の通りは壊滅的な被害を受けていて瓦礫の山となっていました。
■ガッティクロー
2日目はガッティクローとういドブ臭い川沿いの避難所。ここは身分的に低い集まりということでしたが、一番熱烈な歓迎を受けた印象があります。午後はネパールの国営放送の取材も入り、夕方に隣のカフェでその放送を皆で見て歓声を挙げました。
■カパン ドルガ マンディル
3日目は今回お世話になったビシュマ氏の自宅前の避難所。こちらはもともと畑のようで、足元が不安定でセッティングに時間がかかりました。諸事情があり施術様にベッドを用意していただきました。ここから最終日までベッドを使用しての施術でだいぶ楽になりました。
■チャベール
4日目はチャベールという裕福な地域の学校にて。ここでは一日がかりで訪れた人達の寄せ書きのタペストリーを作ってくれました。ネパールの皆さんの思いがここに詰まっています。
■ペプシ
5日目はペプシ工場がある地域で地元の方が”ペプシ”と呼んでいました。今回の協力メンバーであるスシラ氏が寄付をして運営している孤児院の目の前の広場です。この孤児院では10年前の内戦で親を亡くした孤児を主に引き取っており、今回の震災孤児も1人いました。最後には私達のために歓迎セレモニーを開いていただき、孤児院の子供達の合唱を始め、最後は手伝っていただいた全員を皆で讃えあいました。
■カトマンズ市内の様子
さて私達が首都カトマンズに入ったのは震災から3週間が経過する頃でしたが、その数日前に大きな余震があり、さらに被害が出たあとでした。少し落ち着いて来た矢先の大きな余震で、多くの人達は倒壊が怖くて家で寝れなくなってしまったようです。
滞在中は報道で映っているようなテント村の他にも、道路沿いにテントが並んでいる景色をいくつも見ました。建物は無事でも余震が怖いため、昼間は自宅で家事を行い、夜は外のテントで寝る。そんな不便で不安定な生活が続いているのが現状です。
物流についてはそれほど問題はなさそうでした。初日の準備日は市内で買い出しを行いましたが、発電機も含め必要なものは全部揃い、市内の流通に関してはそれほど問題はない様子でした。街の様子もにぎやかで活気があるように見えましたが、既に数万人が田舎へ戻っており、「空いていない店が多い」というのが実情のようでした。
■余震に怯える人達
5月12日の大きな余震による建物の倒壊で、ネパールの人々には余震の恐怖が完全に植え付けられたように感じました。レンガ作りの建物が非常に多いため、度重なる余震で倒壊のリスクは増す一方です。夜中も何度か軽い余震がくると、外の野犬がいっせいに遠吠えを始めました。最も印象的だったのは温熱活動3日目のカパン(※地図③参照)でのことです。突然カタカタカタと余震がきました。すると多くの人が悲鳴をあげ、女性は小さい子供を抱え、周りの建物からは人がぞろぞろと出てきて、一体が騒然となりました。余震そのものよりもそれに怯えるネパールの人達の様子をみて不安な気持ちにかられました。
■「土曜日でまだよかった、、、」
2015年4月26日(土)11時56分に地震が発生しました。ネパールで聞いた意外な一言が「地震が起きた日が土曜日だったからまだ良かった」という言葉でした。ネパールは土曜日が休日です。そのため今回の震災で学校など教育施設の多くも倒壊しましたが、学校が休みで生徒も不在だったためにまだ被害が少なくて済んだそうです。平日の昼間だったらもっと被害は大きくなっていたかもしれないそうです。
■8月に温熱軍団第二弾を派遣
多くの方に期待を寄せられた8月の温熱軍団第二弾の準備は、現在着々と進んでいます。メンバーも固まり、ネパールに向けての特別研修も始まりました。震災から4ヶ月の時期に乗り込むことになりますが、果たして現地の様子はどうなっているのか。既に日本のメディアではネパールについての報道は見かけなくなりましたし、復旧復興の度合いが非常に気になっています。主要産業の一つである「観光」も震災の影響で大打撃を受けていると聞きます。また8月の訪問を踏まえてご報告させていただきます。
活動実施日
2015年5月16日~5月23日